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画伝(第七)

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この絵は、明治16年9月。御嶽三神を東京に鎮祭するため御嶽山山頂での御分神の式を終え、下山の途中の逢戸峠にて排雲式を行っているところ。鳥居の前で三位烏帽子に格衣を着て立っているのが正秉でその前に置かれているのは御分霊の御唐櫃。この日御分霊の山頂付近は数万の信徒で埋もれる有様であったが、曇天で風も相当あり今にも雨が降りそうな天候であって、正秉が御分神奉遷式を行うに際して、一同に向かい『我が大中臣家に伝わる奉遷式を行う時は、必ず神験があらわれる。他の人々の行う式と同視してはならない。この天候が変じて日を仰ぐために雷鳴もおこる。これをもって御分神があることの立証となるのである』と言い、剣ヶ峰頂上にてその式が荘厳に行われるや、結果として正秉の言った通りに山全体に雷鳴が轟き、信徒は互いに顔を見合わせ顔色を失った。そのうちに雲霧が晴れ渡り日光を拝するに至った。下山の折に逢戸峠に至って御嶽山を望んだところ白雲が四方から発生して山全体を封じていた。このとき正秉は『私が御嶽大神と御分神との奉別式を行うので、そうすればあの白雲は真中から戸が開くように左右に分かれるはずだ』と言い、すぐにそのお別れの式を行い、雲切りの神事として拍手黙祷をしたところ、たちまちその白雲の真中から左右に分かれ、突然山全体が現れたため、皆々驚きながら礼拝をした。その後正秉が『これから閉雲式を行う。そうすれば白雲は戸を閉じるがごとく、山全体を隠すはずだろう』と述べて閉雲式を行うと、言った通りに白雲が左右から戸を閉じるように山全体を覆った。

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