明治天皇の勅裁によって明治15年に特立した神道神習教のウェブサイト

立教と勅許特立

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立教と勅許特立

「立教」 大中臣の六十五代の後裔で勤皇の志士であった芳村正秉が安政の大獄の直前の安政4年(1857年)に幕府の手から逃れ鞍馬寺山門内の由岐神社拝殿下に湯口徳兵衛の助けを受けながら一月の間籠り、同志の無残な死を悲しみ国を憂いつつ人間そのものに思いをいたしていると「芳村家は大中臣の後裔にして神道の家系である。他日大中臣の神道を継ぎ、これを世に明かせよ」 との祖父の遺訓を祖母から教えられた時の光景が眼前に浮かび、大中臣神事の再興こそ自分の使命であると悟った。これを立教としている。
1873年(明治6年)1月27日には伊勢皇大神宮に禰宜として奉職。神明奉仕をしながら出納課長、常務課長、神宮司庁東京出張所(後の東京大神宮)所長を経て筆頭禰宜となる。
神仏合同布教の大教院瓦解後は、神道の受け皿として神宮東京出張所内に神道事務局を設立すことに尽力する。
神官教導職分離後は、後の内閣総理大臣伊藤博文に妻子を預けて諸国の霊山に籠り家伝の神事遺法を修める等により自己の神道を確立。
1880年(明治13年)、東京府に「神習教会」を設立、1882年(明治15年)5月10日一教特立を願い出て、明治天皇の勅許を得て「神道神習派」と改め、同年10月6日「神習教」と改称した。

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